私のキャラ設定って?

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TLIの講座を受けると自分が解放される。

ココロを学ぶから、感情が溢れ出てくる。

 

この土日もそうだった。

TLI第2講を受講。

 

 

前回の第1講では、自分を制限しているビリーフ(思い込み)は何か、そのビリーフから解放されるためのビリーフリセットの公開セッションがあった。

私は見ている方だったけど、共感するところが多く、苦しく、泣きたくなる。

 

今回、第2講では、ココロに関する講義を受けているだけで苦しく、泣きたくなりっぱなしだった。

 

第2講の心の琴線ポイント

「声が小さい人は、子供の頃に怒られて育った人が多い」

私はTLIベーシックの12期の講座に参加しているが、12期は声が小さく静かな人が多い。

自分の嫌いなところ、ダメだと思っているところを書き出すワークでは、私は一番最初に「声が好きではない」と書いていた。

お店で店員さんを呼んでもいつも気づいてもらえない、かといって声が小さいわけでもない、キンキンした声。

「お腹から声を出しなさい」

昔、誰かに言われたことがある。声はコンプレックスの一つ。

そこにあやさんのこの説明。「声が小さい人は、子供の頃に怒られて育った人が多い」

 

「誰かにわかって欲しかったの」昔の私がそんな風に言ってる気がした。

 

「怒っている自分」

人は、こうあってはいけないと思う「ダメな自分」をなかったことにしようとして、抑圧してしまうのだそう。

抑圧された自分は潜在意識の部分でシャドウ(影)となる。

そのシャドウは、現実の世界で相手のキライなところやイヤな部分として映し出される。

潜在意識の中でないことにされた自分は、例えばかわいそうな自分としてキャラ設定され、いつもかわいそうな私の物語という脚本となり、相手をスクリーンとして脚本に描いた通りの映画が上映されるそうだ。

そのシャドウを認めない限り延々と。

 

「ダメな自分」として抑圧される例として「怒っている自分」の説明があった。

子どもは最初に親に対して怒ってはいけないと感じる。親、上の者に対して怒るのはご法度。怒る自分はダメな自分。そこで怒る自分はなかったことにしてしまう。これは子どもが生きていく上での生存戦略。

ここでも昔の私が「私の気持ち、聞いてほしいの」と泣きたくなる感情と共に現れた気がした。

 

「ゴールデンシャドウ」

なかったことにしてしまうのは「ダメな自分」だけでなく、「輝く自分」もなかったことにしてしまうそう。

スゴい自分でいたらいけない。スゴい力を発揮する自分の力に対する恐れ。アナ雪のエルサのような。

なかったことにされた輝く自分はゴールデンシャドウとなって相手に投影される。憧れだったり、ステキと感じたり、好きだったり。羨ましいとか妬みもゴールデンシャドウの投影だ。

 

この「ゴールデンシャドウ」の説明。

説明を聞いてるだけで胸がザワザワする。子どもの私が何か訴えてる。何かを確かに感じる。

でも今ここでそれを出してはいけないと一生懸命気持ちを落ち着ける。

気持ちが落ち着いたと思った頃に、ワークの時間。

周りの人や芸能人などに感じるキライなところ、ステキだと思うところを、自分に置き換えて発表するワークだ。

私が唯一実名で書いたのが長谷川潤ちゃん。もちろんステキだと思う方で。

私が長谷川潤ちゃんのステキポイントを自分に置き換えて発表するとき、私の感情は崩壊した。

「絶対に言ってはいけない言葉なんだよ」

「今まで気づかないように頑張ってきたのに」

「なんで気づかせようとするの!」

私の中にいる小さい私が出てきた。

私の発表のとき、たまたまあやさんがそばにいた。

言葉に詰まっている私に「読んでごらん」とあやさん。うまく読めない私に「もう一度」と言ってくる。このときばかりはあやさんが鬼だと感じた。

だけど、ここに間違いなく私の行動を制限しているビリーフが何かあるのだろう。

それが何かはわからないけど。

 

講義の終わりに、私は思い切って質問した。

「ビリーフが無くなったら自分が崩れてしまうような気がする」と。

 

ビリーフは小さい私の生存戦略だ。大人になった私にはもう合わないもの。それをいまだに信じているから生き辛くなる。講習の間に何度も聞いていること。

でもやっぱり、ビリーフが無くなったら私は崩れてしまう。

 

子どもの頃、私は何かちょっと言われるだけですぐ泣いてた。泣きたくないのに。

今回の講習ではずっとそんな感覚。何か言われるだけで泣きたくなる。

ココロの仕組みを教えてくれているだけなのに。

ビリーフがなくなったら泣き虫だった子どもに逆戻りしてしまう。40にもなろうといういい大人が。これでは社会生活やっていけない。そう感じていたのだ。

 

人には魂があって、魂の周りを自我が囲んでいる。

魂とは、生命力とか、感性とか。

自我は、理性であったり、コアビリーフの部分。生きていくために身につけている鎧。

 

自我が崩壊して魂が現れる。

私が質問した「自分が崩れるのではないか?」と感じるのは、「自我、つまり理性が崩れてしまうのが怖い、と自我の部分が言っている」とのこと。

「だから大丈夫だよ」と。

すごくステキなことを言ってくれている気がするけど、いまいちピンとこない。

でも、あやさんも、たちさんも大丈夫って言ってくれている。

だから、きっと大丈夫なのだろう。そこだけは信じられる。

 

わたしのキャラ設定ってなんだろう。

家に帰って考えた。

私が自分に設定しているキャラは何か?

「輝きの自分」のところで1番引っかかったから、お姫様キャラかな。

ゴールデンシャドウについて、ディズニー映画でいうアナ雪のエルサとか、眠れる森の美女などを例に挙げてあやさんは説明してくれた。

 

話は飛ぶけど、今回の講座の中で1人ずつプレゼン発表をした。

テーマは“講座が始まってからの自分の変化”。

私は発表の中で、小さな引寄せを感じていると話をした。

でも、本当は違う。

小さな引寄せを感じているのは確か。

確かなんだけど、本当に私が今感じているのは大きな波の方。

ビッグウェーブが来ているのを感じている。

去年の失恋から人生動き出している。

今が転機。このビッグウェーブに乗れたら確実に人生好転する。

本当はそう思っている。

こんなこと、おこがましくて言えなかったけど。

こんな大口叩いて失敗したら恥ずかしいしね。

 

昔誰かに「あなたは大器晩成型だね」と言われた。

誰に言われたのか、どうしてそんな話をしたのか、いつ頃の話かも覚えていない。

でも私は妙に納得してずっとそれを信じてきた。今でも信じている。

私の人生、いつかきっとうまくいく。

 

私が自分で自分に設定していたキャラはシンデレラではないか。

そう思った。

 

・今までずっと真面目に働いてきた

・自分を大器晩成型だとずっと信じてきた

・ゴールデンシャドウのところで引っかかりを感じた

 

シンデレラのキャラ設定の根拠はこれだけ。

このキャラ設定によって私がどう演じてきたのかは、全く分析できていない。

私のゴールデンシャドウが私に何を制限しているのか、何を私に訴えようとしているのかもよくわからない。

ただなんとなくシンデレラかもって、そう思っただけ。

 

今までの私なら、こんな自分に呆れたり、悲しくなったりしていた。

「なんて自分に都合よく考えているんだろう」って。

でも、今は違う。

「自分に都合よく考えられてバンザイ!」

こんな風に考えられるようになった。

TLIにきて少しずつ自分を認められるようになってきているから。

 

自分がシンデレラなら最高過ぎる!

これから何があってもハッピーエンドが待っているなら何だって頑張れるし!

ナイスキャラ設定!!

小さい頃の私、よくやったね!

 

心についての理解はまだまだだけど、こんな風に考えられるってスゴい進歩だよね。

 

なんか、嬉しくなってきた。

たちさんとあやさんと12期のみんなに会えて本当に良かった!

これからもみんなと一緒に頑張ろう。

 

みんなどうもありがとー!!!!

これからもよろしくね。

 

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